<9th Apr Sun>
近所の公園でそよ風に舞う花吹雪が風情あり。25度くらいまで気温が上がってまるで夏でしたが、これが続く筈はなく、明日からまた肌寒くなるそうです。 やれやれ、やっとマルタ旅行記が終わって肩の荷が下りた。
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マルタ島から戻ってちょうど一ヶ月、やっと旅行記最終回にこぎつけました。長い間お付き合い頂き、ありがとうございました。時間は掛かるけど、写真を選ぶためにじっくり見直して旅を反芻するのも楽しかったです。
3月8日、夕方の便でロンドンに戻る前の半日余り、最後にヴァレッタで遣り残したことをあれこれと。 ゴゾ島とコミノ島の観光船でオマケに付いて来た1時間半で10の湾をボートで回るベイクルーズはまだ風が強いので諦馬て、マルタ騎士団の総本山、聖ヨハネ准司教座聖堂St John's Co-Cathedralに。
でも、うヘーっ、中はどこ向いてもびっしり隙間ないキンキンゴテゴテぶりに圧倒されて頭痛がしそう・・。 こういう雰囲気の中で貧乏人の信仰が深まるのかしらん? それともここは高貴な元十字軍の人たちだけのため?
ここには一時マルタ騎士団員にしてもらえたカラヴァッジョの「聖ヨハネの斬首」と大きなサイズの絵もあるのですが、その部屋だけは写真禁止ってのもケチよね。因みに、私たちがここにいる間にゴゾ島のアズール・ウィンドウの岩が強風と高波で崩れ落ちたそうです。
飾り立てたカソリック教会は苦手なのでさっと切り上げて、次はカサ・ロッカ・ピッコラCasa Rocca Piccolaという16世紀の貴族の邸宅をゆっくり見学。
1時間のガイドツアーで、私たちの案内係は完璧な上流イギリス英語の初老婦人。きっとここの奥方様に違いないと確信したけど、例えば先代がエリザベス女王戴冠式に参列した時のものや写真も義理両親とは言わずに「先代の当主夫婦が・・」と何度も仰ったので、「ハハーン、自分の身分は明かしたくないのだな」と思って本人には聞けませんでしたが、後で受付嬢に確認したら「そうよ、彼女が侯爵夫人marchionessよ」と。 なら、私たちの次のグループの案内係の紳士は侯爵様に違いない。夫婦でご苦労様。
朝9時からの最初のツアーで参加者は私たち二人だけだったので、イギリス関連のもの中心に説明して下さったし、こちらから質問もし放題。マルタであれこれ見た後だったので相槌も打てたし、疑問に思ってたことも説明して貰えて興味深い1時間でした。
庭があるのは珍しいヴァレッタでこんな素敵な中庭があるのはさすが。
川がなくて水の確保に苦労するマルタでは地下に貯水するのですが、戦争中は床を張って防空壕にもなったという巨大水がめも見学。
何度も来たアッパー・バラッカ・ガーデンに又行って、まずランチ。レストランはイタリアンが多いのですが、ピザは初めてどころか初めてのランチだわ。今朝はホテルでブッフェ朝食ではなく手持ちのパンやお菓子を食べただけど、お腹空いてても全部は食べ切れず。
12時の大砲を打つセレモニーも見学。 グランドハーバーの眺めもこれで見納め。
最後の猫ちゃん。マルタには人口の2倍の猫がいるということですが、どこにいるんでしょうね? ほとんど見掛けませんでしたけど。
最期は地下に掘られたラスカリス戦争記念館Lascaris War Roomへ。地中海の要所に位置するマルタは古代から争いに巻き込まれてばかりで気の毒なのですが、英国領土だった第二次世界大戦でもドイツ軍とイタリア軍に空爆され街はかなり崩壊、見つからないように崖に穴を掘って司令部にしたそうです。連合軍の活躍ぶりをボランティアのおじさんがまるで見てきたように興奮して説明してくれたけど、10分だけって言ったから参加したのに40分しても終わらないので私たちは途中で退散し、ホテルで荷物を受け取ってから急いで路線バスで空港へ。夕方5時のエア・マルタ便ヒースロー行きはボロい機体なのに一人往復約200ポンドもして、結局二人で合計1,500ポンド足らずの出費。
数千年の歴史とヨーロッパとは違う自然の美しさ、旧英国領で親しみも沸くマルタ共和国はとても興味深い国で、シーズンオフだったのでどこも静かでゆったり楽しめました。最後に記事をリストアップしておきます。