<17th Aug Mon>
もう夏は終わったのかな。って、一体夏なんかあったのか、という涼しいロンドンから、日本の方には残暑お見舞い申し上げます。
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写真はクリックで拡大します。
8月7日(金)、ハムステッドにあるKeats Houseに行ってみました。 ロマン主義の詩人John Keats(1795-1821)が1818年から2年間下宿していた家ですが、アートパスだと無料(→こちら )。
1815年築のこの家、その後一軒の大きな家に改築され、更に増築もされ、今では一番大きくて立派な部屋で詩の朗読会がしょっちゅう開かれてるようです。
キーツが住んでいた時は壁で隔てられて2世帯住宅だったのですが、オリジナルの家具もたくさん残っていて当時の様子がよくわかるし、キーツの詩をオーディオで聞くこともできる等、保存も運営も充実してて、さすが1925年オープンの老舗博物館。
私は詩には全く興味がないのですが、キーツに親近感を感じるのは、きっと2008年のローマ観光で彼が25歳の若さで死んだ部屋とベッドを見たからでしょう。 お墓参りもしました。
有名なスペイン階段の足元という目立つ場所にあるにも拘わらず、少数のイギリス人が訪問するだけというひっそりとした「キーツ・シェリー博物館」は、内部はひんやりと暗くてまるでグレーなイギリスなのに、窓から見えるのは陽光眩しくて思い切り明るいイタリアというその対照的な違いがとても印象に残ってます。
結核で苦しむキーツがイタリアに行ったのはイタリアの暖い気候が体に良いだろうというで、知人友人が渡航資金を調達したというのは知ってましたが、彼自身進んでイタリアに向かったものだと思っていたのは間違いだったと今回キーツのロンドンの家に行って知りました。
たとえ命が縮んでも、キーツがこのハムステッドの家を去りたくなかったのは、ここに愛する女性ファニー嬢がいたからで、彼女は壁で隔てられたお隣に住んでいたのです。
でも、反対されながらも婚約した二人なのに、こんなに近くにいるのに、キーツの結核になってからは会わせてもらえなくなり、頻繁に手紙を交わしたなんて、切な過ぎます。
ローマでファニーのことを思いながら死んでいったキーツの無念さが今更ながら思いやられますが、ほんと、オペラで言うならまるでラ・ボエームか椿姫の世界そのままだわ。
もしキーツとファニーの悲恋物語がオペラになってたら、きっと最後に二人は抱き合いながら別れを告げるんでしょうから、そうしてあげたかったです。椿姫だってデュマの原作だとヴィオエッタはアルフレードを待ちながら一人で淋しく死ぬんだけど、ヴェルディ先生は最後に会わせてくれましたもんね。
左の部屋でたくさん詩を書いたキーツは、病気になってからは右の部屋にある緑色の長椅子に寝そべってファニーが庭で遊ぶのを愛おしく眺めたそうです
キーツの寝室。 最初は創作と恋愛も幸せだったのに、2年間後には死の淵に。ローマで死んだ時のベッドはもっと質素でした。
ファッションに興味のあったファニーの部屋にはスタイルブックが置いてあり、ビクトリア時代の流行がわかって面白いです。
尚、彼女はキーツの死後12年に結婚して子供も産み、65歳まで生きたそうです。よかった、よかった。
そう言えば、ラ・ボエームのロドルフォも詩人だったけど、ミミが死んだ後どうしたんでしょうね?
トラヴィアータのアルフレードは良いとこのお坊ちゃんだからきっと家柄の良いお嬢さんと結婚したんでしょうけど(ヴィオレッタも死の床でそうしてねって言ったしね)。
キッチン 増築部分ですが、ここで詩の朗読会をやるのでしょう
7年前にローマで撮ったスペイン広場に隣接した家と、イギリス人墓地(正式には非カトリック墓地ですが、イギリス人が多いのでCimitero degli Inglesiと呼ばれてます)の写真も載せておきましょう。
スペイン広場にいらっしゃる際は寄ってみて下さいませ。
イタリアにしては、と言っては失礼ですが、きちんと整備されてて美しい墓地でした。
尚、この日はキーツ・ハウス訪問後、大木生い茂るワイルドなハムステッド・ヒースを通り抜けて、ケンウッド・ハウスに行きました。たくさん歩いて盛だくさんな一日だったのですが、続きは又あらためて。
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